珠玉のクラシックが蘇る

vol.1

クラシック黄金期の礎となった
ヨアヒムとサラサーテ

クラシック音楽全盛期。その時代を生きた音楽家たちの演奏を聴いたことはありますか? 数千年にわたる音楽史の中でも、19世紀後半から20世紀前半は音楽家が社会的、経済的に恵まれた時代で、傑出した才能の持ち主が多かったといいます。そして、幸いにも彼らの演奏は、録音技術などの誕生によりSP盤に記録されていました。その貴重な音源のうち弦楽器の演奏を、クラシック音楽に造詣の深い山角浩之氏が最新テクノロジーを用いて復刻再生したのが、CD28枚からなる「ザ・ストリングス 伝説の響き」(2004年)。現在では入手困難なその復刻再生版を、PATRASでお届けできることになりました。そこで、本連載では、幻の楽曲をご提供するとともに、演奏している音楽家について山角氏に解説していただきます。初回となる今回は、Disc1より、ヴァイオリン界で後世に多大なる影響を与えた二人の巨匠を取り上げます。

ヴァイオリン演奏史、教育史で重要な地位を占める
ヨーゼフ・ヨアヒム

今や弦楽奏者のバイブル的な曲ともいえるバッハの無伴奏ヴァイオリン曲を、バッハの死後、文字通り「無伴奏」で演奏した最初の人物が、ヨーゼフ・ヨアヒム。今から180年余り前の1843年秋、ヨアヒムわずかに13歳のときでした。

バッハは「音楽の父」とも呼ばれていますが、その理由の一つは、彼が手がけた無伴奏音楽でしょう。バッハの自筆譜では、〈無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ〉という楽曲を〈通奏低音(※)を伴わないヴァイオリンのための六つの独奏曲〉と名付けていますが、これは、一丁のヴァイオリンが独奏楽器と通奏低音楽器の役割を同時に担っているということを意味します。このような考えは、ヨアヒム以前のどの音楽家にも理解できなかったようで、難易度の高い練習曲程度にしか捉えられていなかったのです。

ヨアヒムは、1831年、貧しいユダヤ人家族の7番目の子として生まれました。1833年にブダペストに移住すると、当時パガニーニと並び称されるほどのヴァイオリニストといわれたスタニスワフ・セルヴァチンスキに師事。7歳のときに高級カジノでデビューして一大センセーションを巻き起こし、その後、多くの師に学び、各地でデビューを果たします。音楽家たちとも親交を深め、特にブラームスとは音楽観や芸術観が一致しており、彼の音楽を広く紹介して名声の確立に大きく寄与しました。

1868年秋からは、新設されたベルリン高等音楽学校の学長に着任し、実践的な教授法を推進。従来、パガニーニによる悪魔的ともいえる超絶技巧的演奏法に支配されていたヴァイオリン奏法を、芸術的かつ精神的な音楽性を重視した演奏法に変えた功績は大きいでしょう。当時のヨーロッパにおけるヴァイオリン教育界の大御所であり、ヴァイオリン演奏の歴史、特に教育史の中で最も重要な地位を占めています。

今回、PATRASでご提供するDisc1の2曲目〈無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第一番ト短調 プレリュード BWV1001〉は、ヨアヒム自身、生涯の研究対象でもあったバッハの楽曲。録音時、ヨアヒム73才。死の4年前という最晩年でありながら、非常に気高く、気品に満ちあふれた伸びやかな演奏で、今日では決して味わうことのできない奇跡的な感動を呼び起こしてくれます。

(※)主にバロック音楽における伴奏形態で、楽譜に書かれた低音部の旋律と数字に基づき、即興で和音を補って演奏すること。また、その低音部。

 


(左)ヨーゼフ・ヨアヒム(右)パブロ・デ・サラサーテ

名人芸的技巧を持ちながら、甘美で上品な演奏を聴かせる
パブロ・デ・サラサーテ

ヨアヒムがロンドンで華々しいデビューを飾った1844年、スペインのパンプローナで誕生したのがパブロ・デ・サラサーテです。父親が軍楽隊の隊長という恵まれた環境で育ったサラサーテは、5才でヴァイオリンを学びはじめ、8才でデビュー。その早熟さと驚くべき才能から多くの注目を集めました。1856年に女王イザベル二世の援助の下、パリ音楽院でデルファン・アラールに師事し、1859年以降はヨーロッパ各地で演奏し名声を確立。中でも1876年のウィーンでのデビューは非常に印象的で、ドイツ語圏でも認められるほどとなりました。当時、ドイツの巨匠として君臨していたヨアヒムの演奏様式とは全く異なることからも、これは驚くべきことといっていいでしょう。

サラサーテの演奏は、一般に名人芸的技巧というイメージが強いのですが、実際はこの上なく甘美で純粋な音を特徴としています。彼の擦弦音をたてないボウイングによって生み出される響きは、比類のないほど美しいもの。特に高いポジションでの完璧ともいえる音程の正確さは絶妙であり、また無造作ともいえるほど容易く演奏する様は心憎いほどです。多くの作曲家からも称賛を受け、ヨアヒムをはじめ、サン・サーンス、ドヴォジャーク、ラロ、ヴィエニャフスキ、ブルッフなどからさまざまな作品を献呈されています。

作曲家としても54の作品を残し、今日でも名人芸的技巧のレパートリーとして必須の作品が数多くあります。その一つ、ヴァイオリンに馴染みのない人でもきっと聴いたことがある名曲〈ツィゴイネルワイゼン〉の本人による演奏がDisc1に収録されています。音源のレコードは両面盤で、A面〈モデラート・レント〉は最後の部分でサラサーテが伴奏者に何やら指示をし、中間部の伴奏が始まったところで終わり、B面は〈アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ〉で始まっています。つまり、中間部の演奏が割愛されているのですが、復刻再生に際し、A面とB面を無理につなぎ合わせることを避けました。Disc1の5曲目と6曲目ですので、ぜひダウンロードして、サラサーテ自身によるシンプルでしっとりとした演奏を味わってください。

山角浩之
演奏批評家、出版社編集主幹、講師
1978年に株式会社文献社を設立。
世界最大規模の音楽事典「ニューグローヴ世界音楽大事典」全23巻を編纂・刊行。
ミッテラン大統領誕生に伴う文化事業の一環で、パリ・オペラ座が所有する
舞台美術全般における国宝(A級)分類記録事業を委嘱され
「Opera de Paris(全4巻)」刊行。
歴史的な作曲家(バッハ、ベートーヴェン、ショパン等)に
所縁のある弟子筋による講義と演奏解釈を映像収録しDVDで約200枚刊行。
執筆物は「The Piano作曲家の自演にみる演奏解釈」、
「アンサンブル-伴奏の芸術」他多数。