アートがつくる心地よい空間
私たちは日々、環境の影響を受けながら暮らしています。自然光の入り方、家具の素材、目に入るアートの色彩―― そうした空間の要素が、知らず知らずのうちに心に作用し、気持ちを落ち着かせたり、振る舞いを変えたりしているのです。こうした「環境と心の関係」に着目し、インテリアデザイナー・原兆英氏は、さまざまな空間のデザインに携わってきました。今回は、クリニックの待合室を取り上げ、環境がもたらす心理的な変化について、お話を伺いました。
待合室の概念を変える
山梨県甲府市に位置する「医療法人 M&D 歯科・矯正歯科グッドスマイル」は、従来の「診察を待つための場所」という待合室の概念が見直され、地域の人々が気軽に立ち寄れるラウンジのような空間として設計されています。この増築プロジェクトでは、76.13 m2の床面積が確保され、患者がゆったりとくつろげるだけでなく、地域住民が活用できる「場」としての機能も備えています。
「待合室を、待つだけの『場所』ではなく、人とのつながりが広がる『場』へと変えていくことが、このデザインの狙いです」(原兆英氏)
そこには、カジュアルに立ち寄れるテラススペースやイベントに対応できる可動式のビッグテーブルが配置され、場の使い方に柔軟性が持たれています。さらに、キッチンスペースを併設することで、コーヒーを楽しんだり、料理教室や食育セミナーを開催したりと、多目的な利用が可能になりました。
「待つ時間を、ただの待機時間ではなく、安心し、心を整える時間にすることが重要です。こうした開かれた『場』をつくることで心理的にも物理的にも人に良い影響を与えることができるようになるのです」(原氏)
待合室の空間が変わると、そこで過ごす人の心理も変わります。かつて、待合室は無機質な空間として設計されることが多かったが、そこに温もりのある素材や人が自由に使えるスペースが生まれることで、患者の心理的負担は軽減されていきました。原氏は、待合室の役割について次のように話します。
「待合室は、地域とのつながりを生むコミュニティ空間としても機能します。人と人が自然と出会い、診療の待ち時間が、ただの『待機』ではなく、交流や安らぎの場へと変化していくのです」
このように、単に快適性を向上させるのではなく、患者同士や地域住民が自然に交流できる環境を整えることで、クリニックへの信頼が生まれるという狙いもあるのです。



本棚が生む、心の余白
飯能矯正歯科クリニックでは、30 代女性をメインターゲットとし、上質感のある室内デザインを採用しました。周囲には背の高い植栽を配置し、プライベートな雰囲気を演出することで、街の喧騒から離れた落ち着きのある空間を目指しています。
「室内も自分だけの時間を持てる場にしたいと考え、空間全体の色彩はリラックス感を重視し、暖色系の照明を活用しながら、木の温もりを感じられるインテリアを採用。そうした視覚的な落ち着きを提供することで、患者がより安心して診察を待てる環境を整えました」(原氏)
この考えを反映し、待合室には読書机を一体化させたウッドの大きな本棚を設置。空間に穏やかな時間がもたらされ、患者は本を手に取りながら診察を待つという有意義な時間の過ごし方を実現しました。本棚に並ぶ書籍は、医療関連の専門書だけでなく、ライフスタイルや建築、芸術に関する書籍も取りそろえられています。これにより、患者は待ち時間を「単なる待機」ではなく、「思考を巡らせる時間」としても活用できようにもなりました。
「知的な空間をつくることで、患者の気持ちが落ち着き、診察への不安も軽減されます」(原氏)
受付からラウンジへと続く空間には、自然な導線を生み出すための工夫が施されています。そのひとつが、空間の切り替えを象徴するアートオブジェの配置です。
「イベントなどで訪れる一般客が、場の変化を感じ、自然に空間のリズムに馴染めるように意図しました」(原氏)
これにより、クリニック内の異なるエリアにおいて、シームレスでありながら明確なゾーニングが生まれ、利用者が空間に適応しやすい設計になっています。


環境が医療空間を変えてゆく
診察を待つ時間が穏やかなひとときとなります。地域の人々が集う開かれた場では、医療施設が「街の一部」として機能するようになります。本が並ぶ空間では、不安を抱えていた患者の気持ちが、静かにほぐれていきます。
最後に原氏はこう話してくれました。
「空間は人の心に影響を与えます。それを我々は意識的にデザインすることで医療施設の在り方を変えてゆく。そして、そこにいる人の気持ちを整え、街に開かれた存在へと進化していくのです。」